〔対談〕 橘 佳歩×水無月 順

  今回は私の最新曲「一里塚」の作詞を担当された、作家の水無月順さんにお越しいただきました。水無月さん、よろしくお願いします。
水無月 どうぞよろしく。
  水無月さんは、いつ頃から作詩・作曲を始められたのですか?
水無月 そうですね、私の中学・高校時代はフォーク、ニューミュージック全盛時で、その影響から私も高校生の時フォークギターを始めました。始めはコピーだったのですが、友人にオリジナル曲を作っている子がいて、それを見ているうちに自分も作ってみようかなと・・・
  当時流行っていたフォークというと?
水無月 吉田拓郎さん、井上陽水さん、かぐや姫、風、小椋佳さん、アリスなんかでしたね。
  特に影響を受けたミュージシャンはいますか。
水無月 はじめの内は吉田拓郎さんのメッセージ性の強いパワフルな曲が好きでしたが、そのうちかぐや姫や風のようなメロディーのいい曲を好むようになりましたね。作詩ということでいえば風の伊勢正三さんには強い影響を受けたと思っています。
橘  伊勢正三さんといえば「22才の別れ」や「なごり雪」なんかが有名ですね。
水無月 そう、有名曲もさることながら、アルバム中に非常にいい曲が多いんですよ。風と彼のソロアルバムはほぼ全部集めました。
  そうすると水無月さんもはじめはフォークっぽい曲を作られていた?
水無月 はじめのうちはおそろしく稚拙な曲でした(笑)。でも友人と曲を出し合ううちにお互い刺激しあって徐々にそれなりのものが出来てきたんじゃないかな?
  そうやって作られた曲は発表されることはなかったのですか。
水無月 その友人とグループを結成しましてね。曲を選んでアルバムのようなものを作ったりしてました。といってもカセットテープに吹き込むだけだけど(笑)。ただし人前で唄うようなことはほとんどなかったですね。
  ギターは独学で?
水無月 ほとんど独学ですね。当時フォークギターの教本がたくさんありましたから。しかしそのうち高中正義さんの音楽に触れ、エレキギターが欲しくなって大学の入学祝いに買ってもらいました(笑)。また洋楽やジャズ、フュージョンなんかにも関心をもつようになりました。
  そうやって作られた曲は何曲くらいありますか。
水無月  高校時代から、大学、そして20代前半までの間におそらく100曲くらいは作ったと思います。当時の詞をしたためたノートを今も持ってますが、どんな曲だったか忘れてしまったものも多くてね(笑)。
  それ以降は曲作りは?
水無月 社会人になり友人とも離れる内、作る機会がなくなってしまってね。あと、感性の鋭さという点では20歳前後のころにはかなわないですね。そういう意味で、その頃ほど曲は出来ていないですね。
  さて、今回私のために曲を書いていただいたわけですが、演歌は今回が初めてだとか?
水無月 そうなんですよ。私に話をもって来られた人は勇気あると思いましたね(笑)。で、演歌といってもどうつくりゃいいんだと結構悩んで、とりあえず数曲作ってみました。
  その中に今回の曲が?
水無月 いやいや、そうは簡単にいかなくて、ほとんどボツでした(笑)。それでまず、とにかく詞を書いてくれと言われ、書いたものが「一里塚」だったわけです。
  すると作曲の方は?
水無月 あとはおまかせします、という感じで(笑)。それにしても上手く曲をつけていただいたもんだと感心しました(笑)。
  ほかにも候補曲があったそうですが?
水無月 個人的にはかなり気に入ってる曲が何曲かありますよ。まあそれはまたの機会に、小出しにしていこうかと・・・(笑)。
  その時にはまたぜひお願いします(笑)。ところで最近の演歌についてどう思われますか。
水無月 演歌歌手を名乗る人は非常に多く裾野の広いジャンルですが、このごろパターン化してしまった曲が多いのは残念ですね。名曲といわれる曲はほとんどが一時代前のものですから・・・氷川きよし君のような新しい世代の演歌スターも、もっともっと出てきてほしいですね。
  本日はお忙しいところをありがとうございました。
水無月 どういたしまして。
(2002年4月対談)

 

対談を終えて・・・
作詩・作曲家の水無月順さんは、一般にはまだまだ知られていない存在ですが、そのセンスの良さと真摯な作品作りは、一部で高い評価を得ています。今回お会いしてみて、作品通りの温かい人柄に触れることができました。旅が大好きだという水無月さん、作品「一里塚」もそんな経験にもとづいて生まれたのでしょうか。今後ももっともっと素敵な作品を生み出されるよう、応援しています。(橘 佳歩)